先日、狂言師・野村萬斎さんの狂言会を観てきました。 これで2021年の鑑賞ごとはラストです。
こちらでは10回目の開催となった狂言会
山梨県にある「YCC県民文化ホール」にて狂言師・野村萬斎さんの狂言会が開催されました。
山梨での開催は今回でちょうど10回目とのことで、公演の歴史の長さを感じさせられます。
今回の狂言会では「宗論」と「二人袴」という二つの演目が演じられ、どちらもユーモアにあふれた内容だったので気持ちよく笑わせてもらいました。
狂言に関する解説もあって初心者にはありがたい
開演してすぐに演者のひとりが舞台に現れて、「そもそも狂言とは何ぞや」・「今回の演目のあらすじ」といったことを丁寧に解説してくださったので、鑑賞初心者の僕も難しく構えることなく楽しめました。
解説によれば狂言とは「人々の面白おかしいやりとりを描く笑える劇。“このあたりのものでござる”というセリフから演目が始まる。」とのこと。 (記憶違いがあったらすみません)
他にも入り口で配られた冊子にはそれぞれの演目で登場する語句を解説した一覧まで掲載されていたので、独特な言葉回しが多い中でも置いていかれることなく集中して鑑賞できました。
異なるジャンルの話ですが、以前、歌舞伎を観に行った時に劇場で音声ガイドの貸し出しが行われていて利用したことがあります。 今観ている演目の解説をリアルタイムに耳のイヤホンから聴くことができるもので、用語や物語をよく理解しながら鑑賞できました。
能楽にしても歌舞伎にしても、こういった初心者にもわかりやすく楽しめるような配慮が行き届いているからこそ、今もなお多くの人から愛される文化として続いているのだろうと感じます。
数年ぶりの狂言鑑賞で思い出される記憶
実を言うと今回の鑑賞は僕にとってまったく想定外だったのです。 ひょんなことからチケットが手に入ったことで実現したのでした。
僕が能楽を鑑賞するのはこれで二度目なのですが、恥ずかしながら前回の記憶がいい具合にかすんでいたので新鮮な気持ちで楽しませてもらいました。
初めての時は野村万作さん・萬斎さんによる特別公演の会で演目の一つである「楢山節考」が観たくて行ったのだと記憶しています。 たしかこのサイトが出来る前のことだったと思うので、気がつけばずいぶんと年月が経っていたみたいです。 「光陰矢の如し」が常套句になりそう。
今回は内容の面白さはもちろんのこと、いろいろと懐かしい記憶も引っ張り出された観劇となりました。 健康面でも特に問題なくイベントごとを楽しめて安堵しています。
最近はまたも時勢の雲行きが気になりつつある中で、安全なイベント開催に向けて尽力くださった関係者の方々には本当に感謝です。
来年も楽しいことが一つでも多くあるように、諸々気をつけながら生活を送っていこうと思います。
《オマケ》初めて観た時の絵日記が出てきた
僕が初めて能楽鑑賞した時に描いた絵日記が出てきたのでオマケとして掲載しておきます。
以前、東京・神奈川方面へ一人旅した時の記録として紀行(絵日記)を描いたことがありました。(記事はコチラ)
タイムスタンプによると東京・神奈川紀行が2016年11月、初めての能楽鑑賞が同年12月の出来事だったようです。 今回の能楽鑑賞はちょうど5年ぶりだったんですね。
2016年なのでこのサイトが始まる直前に残した絵日記です。 この頃はこんな感じの絵日記を描くことにハマっていた時期でした。 このすぐ後に「rokumicro」を作って現在に至ります。
久しぶりに読みましたが、今回の狂言会に対する感想と同じようなことが描いてあって笑いました。 ま、まるで変わっていない……。
当時描いたままの状態で掲載しております。 読みにくくてすみません。
◆ 野村万作さん・萬斎さん親子による狂言特別講演を観てきた。 能と狂言の区別もつかないような素人なので、開演前に解説があったのはありがたかった。
◆ いわく、「狂言」は喜劇で笑いタップリ。 「能」は笑い少な目、重く、シリアス……?(もっと勉強します……)
◆ 演目は「呼声」と「楢山節考」。 「呼声」は古典の演目で、コミカルな演技に会場は笑いに包まれた。
◆ 萬斎さんのよく通る声にオドロキ
◆ 休憩をはさんで「楢山節考」。 コチラは山梨出身の作家・深沢七郎の同名の小説を狂言にした演目。 前もって小説を読んでおいたので、しっかりと演技に集中することができた。
◆ 棄老伝説が題材。 狂言でありながら、笑いどころはほぼ無し。
◆ 面をつけた万作さん。 一言も話さない。 が、所作一つでキャラクターが生きている。 人間国宝ってスゴい……!
◆ 烏の萬斎さん。 ホントに烏がいるかのようなリアルな動き。 面のクチバシがちゃんと動く!
◆ 落語や歌舞伎と同様に、舞台上で展開される独特な世界にグッと引き込まれて、あっという間に時間が過ぎ去った。 “なんだか難しそう”という思いはやはり杞憂でしかなく、良いモノを観られた満足感に充たされて帰路についた。
◆ やっぱり歴史あるモノはダテじゃない……
◆ 実にオモシロイ